創造という魂が宿る絵

先週からまた工房に復活しました。
銅版画生活です。
引きこもって自分と画面だけ突き詰める日々もよいけれど、
職人的要素が多く、同士的仲間もいる版画工房での作業も
また良いものです。どちらも場合もそうですが、気づくと
数時間経っている事がある。
集中すると時は一瞬にして飛んで行くらしいです。

余裕がなくて書けなかった事を少し。
東京国立博物館で現在開催されている
「対決 巨人たちの日本美術」展に開催後間もない金曜日に
行ってきました。
http://www.asahi.com/kokka/


(3本足のガマガエルとそれを使う蝦蟇仙人の大作。
これが描かれたのは16世紀頃。この時代に囚われの
ない作風でユーモアやイマジネーション溢れる世界を
描いています。)

開催直後だったためか比較的すいていて音声ガイドを聴きながら
ゆったりと鑑賞することができました。
名だたる画家たちを時に同時代、または時代を超えつつも対決
仕立てにしたこの展覧会。


伊藤若冲「雪中遊禽図」
(白の宇宙。私のナンバーワンです)

大好きな伊藤若冲はじめ曽我蕭白、長沢蘆雪、狩野永徳、
円山応挙などなど私にとって魅惑の画家の名前が列挙されて
います。最初は対決などそんな・・・という気持ちで
ただ作品を楽しみたいという思いもあったのですが、
なかなかどうして二人対で並べられた作家たちの対比は
興味深く、知らず知らずに甲乙をつけたりしてしまったり
して主催者側の術中にはまっている自分に気づくの
でした。

東博の力がとてもすごいのかなんなのか、集まっている
作品もすばらしく、例えば長沢蘆雪の「虎図」など、
いつか見たい!でも現実的に行けるかな?と思っていた
和歌山県無量寺からいらした作品。私が大好きな若沖の
「仙人掌群鷄図」などは大阪の西福寺にて年一度しか
公開されてない襖絵。対する曾我蕭白の「唐獅子図」(すごかった)
は三重県朝田寺からの出展などなど、あげればきりが
ありません。全てをみるのに3時間を要しました。
(量的にというよりは気持ち的に要しました)
音声ガイドもプロの声優さんたちの対決仕立てになっていて、
やはりそこはプロの仕事。歌麿、写楽対決などは心底
聴いていて楽しかったです。時間があれば必聴です。

でもなによりこの展覧会を楽しんでいるのは当の画家たち
なのではないのかなとみていて思ったのでした。
ふと客の中に与謝野蕪村や円空が混ざっているのではないか。
閉館後のここで彼らがお酒でもたしなみながら互いの
作品を見比べて感心したり「いや自分の方が全然良い」
「勝負などばかばかしい」など言い合いながら、この機会を
存分に楽しんでいるのではないかという想像が膨らみました。
彼らのために終日ライトを消さない日をもうけてあげて
欲しいな・・・など思いました。
そんな粋な計らいなんてどうでしょうか。お盆の頃にでも。


長沢蘆雪「虎図」襖
(創造の産物。襖4枚一頭の虎という大作です。
なんとなく怖いというよりハッピーな気持ちになります)

長沢蘆雪の虎は想像していたよりとても大きかったです。
虎などみた事がない時代。画家たちは中国から来た絵や
西洋からきた敷物から想像を膨らませ、または猫などを
モチーフに虎を描いたといいます。


円山応挙「猛虎図」屏風
(顔がちょっとキャラっぽい。どことなくアニメ風にも見える応挙の虎。
毛並みは緻密に描かれています)

なるほど蘆雪の虎はどこか猫風、対する応挙の虎など横にいた
女子が「キャラぽい」と称していたほど、すこし顔に特徴が
ある虎でした。

蘆雪の虎は私を「にまにま」そして「わくわく」と
させてくれました。先人たちの時代は今のように実物をじっくり
とみるなどということは不可能でした。そこに入り込んだのが
「想像の余地」です。この「想像」はやがて「創造」の域
に到達し、独特の何とも言えない魅力と個性をもつ虎や象と
なって姿を現したのだと思います。応挙の虎がキャラっぽいのも
なるほどしかりです。
例えば、狩野探幽一門が下絵を描いたという日光東照宮の彫刻
(「見ざる言わざる聴かざる」の猿は有名です)
その中にある「想像の象」の彫刻もとても魅力的です。
そのれらの魅力溢れる作品をみると心底
「写真やインターネットなどなくてよかった」と思うのです。


曾我蕭白「群仙図」屏風
(図録表紙よりの画像です。本物の背景は黒ではありません。
正に画狂と呼ぶにふさわしい絵。感性の爆発)

古い時代には麒麟(これは我々のしっているキリンとは別物です)
鳳凰鳥、龍など多くの「伝説の生き物」が存在していました。
おそらく人々は半ば本当に存在していると思っていたかもしれません。
現代に生きる私もその存在を信じたいのですから。
その夢に創造の力でリアリティを与えていたのが画家たちです。
画力だけではない個々の体の感性を全て使って描いた創造の結晶。
そのとぎすまされた感性を持つ画家たちの個性が動物にとどまらず、
あらゆる風景や伝承世界を創りだして私の目の前に広がっていました。
やっぱり日本美術すごいなぁ。

対決展のとりを飾るのは富岡鉄斎と横山大観。
大観の大作「雲中富士図屏風」絵を前にして
大観の遺した言葉が音声ガイドを通して聴こえてきました。
「芸術は創造である。如何なる場合に於いても模倣は絶対に
之を排斥せねばならぬ」20世紀中頃まで生きた画家の
この言葉に思わず涙がにじみました。近代まで生きた巨匠と
呼ばれた其の人の志は心にすっとしみいってきたのでした。
「個」ありき。その気持ちを大事にしたいと常に思う
自分の気持ちと重なりました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です